結婚と別れのパラドックス
今日、友達が彼女にフられた。
その友達は彼女と5年も付き合ってきて、つい最近まで仲良くやってたらしい。
だけどフられてしまった。
一緒に行くライブも、ディズニーランドも、沖縄旅行も全部キャンセルしなきゃならない。
そしてずっと大事にしてた結婚の約束も、消えた。
まるでオレの話みたいだな。と思った。
オレも2年ほど前に5年付き合った彼女にフられた。
本当にその人と結婚してずっと過ごすと思ってた。
けど、やっぱりなんとかなるもので今では新しい彼女がいる。
すごくいい子で一緒にいて楽しいし、オレのことを考えてくれるし、前の彼女より合ってるんじゃないかなって思う。あんまり比べるもんじゃないとも思うが。
結局、そのフられた友達も今日しっかり慰めていたら元気になった。
フられた後に立ち直るにはやはりマッチングアプリだ!ってことで一緒にやってたら早速マッチングして上機嫌になっていたぐらいだ。
彼が元気になるなら何でもいいよなって思った。
実際フられた側なわけだし。
その一方で。
今日、何年も付き合った彼女と結婚した友達がいる。
フられた友達を慰めたあと家路について、ひと段落して寝ようと思ったら連絡がきた。
その友達とは大学のサークルの同期だった。
そして結婚した相手はサークルの後輩だった。
2人は大学時代に付き合い、社会人になって一度別れた。
その時、友達はめちゃくちゃに荒れて、酒とタバコと風俗に逃げていた。
その様子にはオレも引いた。その後、彼とはなんとなくウマが合わず、疎遠になってしまっていた。
そんなアイツが結婚した。
しかも一度別れたあの子とヨリを戻して。
正直すげえなって思った。
あそこから結婚できるなんて誰も思わなかった。
だけど本人だけは信じていたんだろう。
信じて、チャンスを窺って、また関係をやり直した。
もしかしたらオレも?とか思ってしまった。
数行前に書いたことと矛盾するけど。笑
そして、今日フられた友達も、もしかして、また。
だけどね。
これは生存バイアスみたいなもんで再現性はない。
あくまで特殊な例だ。
大抵の場合、フッた側はフられた側のことなんて考えてるはずがない。
じゃなきゃ別れる必要がないからだ。
そいつと離れたいから、離れる必要があるから、別れというとてもツライ結論を選んでるわけだ。
だから復縁を考えていくら行動しても基本的に届くことはない。
むしろずっとそこに立ち止まっていたら、何も変わらないし、成長しないし、どんどん自分は不幸になっていく。
やっぱりフられたら前に進んだ方がいい。
一度割れた花瓶は元に戻らない。
元に戻せたとしてもそれは「割れたカケラをくっつけたもの」なのだ。
そのヒビも愛せるなら素晴らしいけどね。
でも、ヒビ割れた花瓶を愛せる人は少ない。
どんなに大切だった花瓶でも割れてしまったらそれは花瓶ではない。
「割れてしまった花瓶」は使うことはできない。
使ってるうちにヒビから水漏れもしてくるし、大きなヒビが原因でまた壊れてしまうかもしれない。
だから花瓶が壊れたら新しいものを買う。
新しいものを使ってるうちに愛着も湧いてくる。
そのうちに新しかった花瓶は生活に馴染んできて、まるでずっとそこにあったかのように感じてくる。
恋愛も、人間関係もきっとそんなものだと思う。
そう考えると「運命の人」なんていないのかもしれない。
恋人を取っ替え引っ替えしているうちに、 結婚のタイミングが来て、その時に付き合っている人と結婚する。
本当に愛しているかどうかは関係ない。
結局、その時の環境要因で決まってしまうのではないだろうか。
なぜならオレもフられた友達も結婚するつもりで付き合い、 想いはきっと彼女と共有できていたから。
そして、それでもオレたちは結婚できなかったから。
環境要因で決定づけられてしまうのならオレらの恋に何の意味があったのだろうか。
生まれてくる年代、出身地、出会うタイミング、入ったサークル、 就職した会社…
どれか一つ足りなくても彼女と付き合うことはなかっただろう。
別れることも、なかっただろう。
オレらの恋にたぶん意味なんてない。
ただ出会って、一瞬繋がって、あっけなく別れる。
だけど、ふとした時に違う誰かとまた出会える。
それでよいのかも知れない。
だからこそ恋って自由で。儚くて。大切で。
結婚も別れもどちらも本質的にはきっと同じだ。
別れと出会いがぐるぐる回っていく中で、ピタッと針が止まった。
それがたまたま隣にいたヤツだってだけのこと。
だから落ち込まないで前を向いて、新しい恋をしよう。
オレも、フられた友達も、結婚した友達も、 ずっとこのままってことはないんだから。